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~けっこう毛だらけ 自我観念だらけ~                             ある日 「観念浄化ワーク」 という魔法の杖に出会いました。 自作自演の世界から脱出して 自由なわたしになるために 魔法の杖 お試し日記。
 ちょうど波のように さよならがきました
2009年03月20日 (金) | 編集 |
歳も毛色も家にやってきた経路も違うネコ4匹。

その中の1匹。名前はモモ。16~17歳くらいのおばあちゃんネコ黒猫:右向き

3月18日、天国に旅立った。



・3月10日(火) 
 前日にあげた猫缶をに吐いてから食べ物を受けなくなった。

 食べたものを吐くのは前からあったことなので いつものことだと思ってたら
 1日中ダンボールの猫箱に入ってじっとしている。
 鰹の削り節すら口に入れようとしない。

 水も飲んでないような感じで(外飼いなので)動くのもしんどそうだった。

・3月11日(水) 
 職場から昼休みに家に戻ったら、倒れこむようにして庭にいた。
 目も半分しか開いてない。首も持ち上げられないようだった。

 「もうダメかもしれない」と思った。

 家には誰もいなくて、わたしは獣医に診せた方がいいのか迷った。

 高齢なので もし寿命でどうにもならないのなら 病院の知らない人に囲まれて
 冷たい場所で息を引き取ることが本当にいいのか と思ったからだ。

 わたしは ひとりで外出できないから そうやって言い訳にして逃げてやしないかとも
 自問自答した。

 結局その日は 連れていかなかった。

・3月12(木)、13日(金)
 家の中で様子をみるが 口にもっていった水も嫌がる。

 金曜日に家にいる母に病院に連れて行ってと頼んだら

 「寿命なんだから 病院にいってもしょうがないよ」

 とあっさり却下。

 母は4匹いるネコのうち モモではない他の1匹だけを猫かわいがりしているが
 他のものには冷めている。
 父が病気療養後 亡くなるときも 取り乱したりしなかった。
 なんというか・・・感情を(特にマイナスなもの、ネガティブとされる事柄)
 ポジティブに切り替える、割り切ることを良しとしていて(←わたしの自我を引っかくのよね~)、
 この点でも 今回 ”観念” を知ることができたのだけど これはまた 改めて書いてみる。

・3月14日(土) 
 妹が見かねて 病院に連れて行った。
 慢性と急性の腎不全とのこと。
 高齢のネコの”宿命病”ともいえるものらしい。
 その日は点滴させながら 入院した。

・3月15日(日) 
 夕方 病院にTELして様子を聞くと 症状は末期で容態も悪く
 呼びかけても反応がないそうだ。
 「明日までもつかわからない」 と言われ連れて帰ってきた。

 でも、家に帰ってきたとたん 「まぅ~」 と何回か鳴いた。
目は大きく開いていて あまりまばたきしないけど 呼びかけにたまに黒目が動く。

 「反応してんじゃん感涙

 なんだかうれしくなってしまった。
 やっぱり家がいいんだなって。

・3月16日(月) 
 先生が 「明日までもたないかも」 と言うから 朝起きるのが怖かった。
 でも、生きてたv

 先週まで 沖縄も肌寒くて天気も曇りで暗かったけど、この日からいい天気になってきた。
 モモは 庭や庭を覆うひさしの上で寝るのが好きだったから

 「おっし! 散歩しよう! 日向ぼっこしよう!太陽2

 と 外に連れてった。
 よくいた庭に降ろしたら 「うに~」 と3回くらい鳴いた。
 わかるんだろな。

 朝日のあたる場所に置いたら それまで ”ただ目が開いている”ってカンジだったのに
 目を閉じていてよだれ 気持ちよさそうに見えた。
 この日も半日 点滴を受けた。

 昼休み、仕事帰り、家に帰るまで 「もう生きてないんじゃないか」と心配になった。
 でも 生きていた。

 (日)の夜には 「明日までもつか」 と言われてたのに…

 病院に行くまで わたしは幾度となく 泣いた。
 寿命とはいえ 悲しかったし、寂しかったし。
 ふと 佐野元春の 『グッドバイからはじめよう』 という曲を思い出しては涙した。
 でも、(月)以降、わたしは ほとんど泣かなくなった。

 だって、それ以上にモモが生きていることが スゴイ!エライ!尊敬! 
 何を未練に思えばいんだろうというくらい。
 もう水も飲めなくて 口の中が荒れて口臭がしてたけど その匂いすら いとしいと思った。

・3月17日(火) 
 昨日から夜寝る前に  「明日も晴れるよ!散歩に行こうな」 と語りかけていた。
 そうしたら モモも 「いきたい」 と思う気がしてた。

 翌朝、息をしてた。
 窓を開けたら どこにそんな意思が残ってるんだろうと不思議なほど フラフラになりながらも立ち上がろうとする。
 おしっこに行きたいんだ。
 寝ている場所には専用シートを引いてあるが、モモはそこにはしなかった。
 庭先の土のところに連れていくと やるんだ。自分の体も支えられないのに。
 わたしが補助しながらだけど ちゃんと。
 やっぱり スゴイなくすん
 
 お昼には久々の快晴晴れ。暑いくらい。
 おもいきり太陽に当てたげようと 庭に連れて行く。
 しっぽもちょっと動いた。

 呼吸が速くて 最後が近いのかと思い、職場に連絡して昼休みを1時間延長させてもらった。
 ずっと側で座ってると 腰が痛くなったので 10分ほど ソファに横になる。 
 風がさらっと通り抜けて 外はすがすがしくて 鳥の声もよく聞こえた。

 「あぁ、こんな日にお日様に当たりながら 死ぬのっていいなぁ」 って思った。
 こんな瞬間なのに しあわせだなって思ってた。

 事務所に戻らなきゃいけなくなって モモを室内の窓際の日当たりのいい場所に移動させ、
 顔を向けている窓の外から 

 「モモ~行ってくるよ~太陽が沈む前には戻ってくるからね~」
 と手を振ったバイバイ

 「むぃ~ん」

 「???」
 
 初めは同じく外で飼っているネコが鳴いたと思って 辺りを探したが
 鳴いたのは中にいるモモだった。

 「モモ?」

 「むぃ~ん」

  「モモ?」

 「むぃ~ん」

 苦しそうというのではなく ”話す”ような鳴き声だった。

 「ありがとね」

 わたしにはもう十分だった。
 手を振って 泣かずに仕事に戻った。心の中は笑顔だった。



・3月18日(火)

 今朝も庭に少しの時間出したげた。見えてるのかよくわからないけれど、感じてたらいいなと思って。
 「お昼には戻ってくるからね」 そう言って出かけた。

 12時、家に帰るとそこには 息をしていないモモがいた。

 母は隣の家に生協を取りに行っていて、戻ってきてモモの死を知った

 行く前に様子を見たときは 息してて 母が家を空けたのと 私が帰ってくるこの間 
 5分もかかってないそうだ。

 ・・・誰も側にいないときに逝ったんだ。
 
 看取られることがシアワセだと人間は思いがちだけど モモはそれを望まなかったんじゃないかと思う。

 息を引き取る少し前にも立ち上がろうとして コテッと倒れたそうだ。

 「ネコは死に際を見られないようにするって聞いたことあるからねぇ」

 と母が言った。

 涙は出なかった。

 わたしの中の思い出や面影をふと いつもいた場所に見つけたときには泣いてしまうかもしれないけど、モモを見てたら わたしの個人的な感傷の涙なんか及ばない気がしたのだ。

 ネコは子供の頃から飼っているが、全部オスネコ。しかも手術しないので いつのまにかいなくなってしまう。
 子猫の時に病気で死なせたり、野犬に襲われて死なせたことはあったが、
 こんなに長いこと一緒に過ごしたネコは初めてだった。

 ネコを飼ったことのある友人に知らせると、彼女のところでは骨肉腫になったり、
 事故やケガしたりと飼い主にとってはツライ場面をみることが多かったと言っていた。

 モモは飼い主孝行のいいネコだった。
 そして わたしに ”死” は必ずしも忌み嫌い、目をそむけるものでもないと教えてくれた。
 昔、わたしの知識不足で子猫を病気で死なせたことがあり、
 看取ったときは わたしにとっては ものすごいショックなことだったから
 今回も ”怖れ” があったのだ。

 ネコ好きの人がこれを読んで、わたしの対応に共感できない人がいたとしても
 わたしには モモがいた時間とその始まりと終わり について
 一切の未練も後悔もないのが事実だ。

 ほんとうに幸せな さよならだった。

 わたし自身も そうありたい。

 ね、モモ。




『グッドバイからはじめよう』  佐野元春











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